岐阜県の大垣出身ですが、この映像に出てくる人物の話し方が自分の祖父そっくりで、とても懐かしい気持ちになりました。 東京に来て7年目です。懐かしい故郷の言葉を聞いているようです。
時代の流を止める事は出来ないけれど、自分自身この様な日本の素晴らしい時代を見れた事、生きれた事を幸せに思います。
駅員をかつてしてましたが、この時代から、旅客対応の勉強会、ロールプレイングが存在していたことに本当に驚きです。ハード面は最新になりましたが、根幹は何も変わっていません。
とても約60年程前と言うのが恐ろしい程きれいな画質
昭和38年といえばまだ2才のころ。その当時の映像をこんなきれいな画質で見られるとは。
この二十歳くらいの若者が今や80代、一生はあっという間。。今の一瞬一瞬を大切に生きたい
昔は駅員(店員、警官、役人etc.)も、客に普通に言い返してたんだよな それが、いつの間にか「お客様は神様」になった
私は父も祖父も日本国有鉄道の職員でした❣️懐かしい映像をありがとうございます この時代は私が小学校にあがったころかと思います 私は江戸っ子ですから当時のこの辺りの様子は知りませんが後に仕事で富山へよく行きました 新幹線がまだ通っていないころです
私の幼少の頃、阪和線天王寺発の列車で、急な腹痛になりのたうちまわった時、車掌さんが司令所に連絡、急行きのくにを臨時停車させ、医師を乗せ私を治療して頂きました。あの頃の国鉄の職員、機関士、車掌、司令所様ありがとうございました。確かな記憶ではありませんが、臨時停車したのは鳳駅だと、その風景は今もそのロケーションは変わっていません。
私はあなたのビデオが本当に好きです。 日本語が話せないのでごめんなさい。 お時間と労力をありがとう。
優しい駅員さんの映像がありましたが、忘れられない思い出があります。 s38高校へ向かう朝、駅には既に汽車が止まっていて運転手の顔も見え間に合わないことはすぐわかりました。線路を渡り駅へ向かいましたが汽笛が鳴らず止まったままです。改札口を通り乗車するとゆっくりと動き始めました。車内は遅刻を気にしてかざわついていましたが、私は運転手の優しさに感激していました。 現代ではありえない出来事でした。
投稿された方、本当に貴重でカラー映像。 他の話をするも何ですが、以前はユーチューブにて元となる白黒映像でこの作品を拝見した事があるのですが、やはりカラーですと鮮明に生え昔の作品とは、とても思えないです。 ありがとうございます。
戦後の国鉄の職場の様子を良く画像で捉えていますね。 この映画のタイトルは、『駅』ですが、場所は駅ですが、岩波映画らしく、人間の人生を国鉄マンとしての鉄道人生を主題に 作りあげています。 私は、鉄道ファンですから、列車や車輌も興味あり面白いですが、印象として、構内作業員として国鉄マンになった若者が、ヤードマンの仕事、貨物の入れ替え作業のために、貨車に飛び乗り、連結するまでのブレーキかけの時の前方を身を乗り出して真剣に見る目の表情です。 ヤードマンは、危険な仕事で大怪我をする危険が毎日あります。ベテランとなった助役さん達先輩が、後輩の若者に、危険の教えや人生の明日を夢見て働く心構えをそれとなく話して聞かせる愛情が素敵でした。 米原のこの若者には、年齢から国鉄を退職しているでしょうが、その後の人生で機関士や駅助役になったのでしょうか。 ヤードマンは、東京の田端の大操車場にもバンプ、 (バンプとは、貨車を入れ替えるためのヤードの先端を坂にしてあり、入れ替え機関車が、貨車を線路の山の頂上へ運び、頂上から一両一両切り離して、ポイントなどを渡りながら、行き先別の貨物列車の編成を作る構内の設備のこと) があり、大勢のヤードマンがいたと思います。危険なので田端駅の横には、国鉄の田端鉄道病院がありました。 子供の頃、私は田端駅改札口を出た陸橋の上から、蒸気機関車が沢山動いていて、陸橋の上まで煙を吹上て来るので、横飛び移動しながら、線路を見ていた記憶があります。 この昔の貴重な動画をアップしていだだけることは、とてもありがたく、何度も見たいです。 どうもありがとうございます。
時代の記録として貴重なだけではなく、ストーリーや画づくりといったカラー映画作品としてもとてもレベルが高いと思います。教育映画を得意としていた岩波映画社の拘りに満ちた仕事も素晴らしいですし、こうした作品を作る意気込みや財政基盤のあった国鉄も凄いと思います。公開に感謝です。
19歳の少年はあどけなさが残るけど、でも今の19歳より頼もしく見える。
懐かしい光景です。この当時、駅の近くの線路沿いに住んでしましたので、毎日蒸気機関車を見て育ちました。 学校から帰ったら、蒸気機関車の石炭置き場や蒸気機関車の操車場に遊びに行っていました。 蒸気機関車を見ていると命を宿した生き物のように見えてきます。
中学1年生の時に昭和が終わり平成を迎えた世代の人間です。思えば、昭和という時代を物心ついて経験できた最後の世代のようにも感じます。自分は鉄道に詳しくはありませんが、働く人のひたむきさ、とても懐かしくノスタルジーを感じる美しい映像です。個人的には、家族旅行のときに飲む火傷するほど熱い売店のお茶が、容器のビニールが溶け込んでいるようなにおいがして苦手だったのを思い出します。それももう、戻ってこない時代の懐かしい思い出です。
遠い昔、まだ幼かった私はつばめに乗って東京へ行きました。懐かしい駅の賑わい、お弁当、みかん、お茶を窓越しに買ってもらった嬉しさ、現代よりはるかに豊かな日々がありました。大人が真剣に働き、子どもはそれを見て大きくなったのです。
昭和38年で、40年前となると大正時代からこの助役さんは米原駅で働いてきたんだな、いろんなものを見てきたんだよなぁ 55歳で定年か…いろいろ考えさせられるなぁ
@ChieM3457